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六月燈あれこれ:六月燈と浴衣


 

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浴衣を着る機会なんか滅多になかったが、小さい頃から六月燈の日だけは必ず浴衣だった。というのも、地域の女の子達は六月燈の舞台で踊りを披露することになっているから。

 

大体6月ごろから、夜の公民館では踊りの練習が始まる。町内の踊りの先生が来て、地域に伝わる踊りだとか、鹿児島名物のおはら祭りを教えてくれるのだ。どれも盆踊りのように輪になって決まった動きを繰り返すものなので、2,3回練習すれば覚えてしまう。練習自体はたいしたことではなかったけれど、練習が終わったあと、夜道をみんなで歩いて帰るのは怖くもあり、楽しくもあった。

六月燈の日は学校から帰ると浴衣の一式を持たされ、近所の美容室へゆく。年に一二度しか来ない浴衣や帯やその他の道具が、一体家のどこに仕舞われていたのか。毎年時期になると魔法のように揃えられていたのが不思議だった。(今になってみれば、母や祖母が前々から浴衣の着丈を合わせたり、帯を変えたりと色々と準備をしてくれていたのだろうけれど。)

顔見知りの美容室のおばちゃんに「大きくなったねえ」なんて言われながら、浴衣を着せ付けられ、同じく浴衣になった友だちと出店を冷やかしながら踊りの準備に向かう。

踊りの後は食堂のおばちゃんが祭りの日だけ出すかき氷だとか、祭りの時じゃないと食べられないリンゴ飴だとか、匂いにつられて買ってしまう焼きそばだとかを食べては歩いて、しゃべって、帰り着く頃には帯に抑えられているお腹が苦しい。蒸し暑い夜に動きまわって、浴衣の襟のあたりにもしっとり汗が滲む。

家に帰ると、真っ先に帯をほどいて、抑えつけるもののないスッキリしたからだで畳に寝転がる。あ〜、この一瞬の幸せといったら!「脱いだら浴衣と帯を干しなさい」という母の忠告は、開放感のあまり忘れてしまう。

今では浴衣も自分で用意するようになり、なんとかかんとか”着られる”程度にはなった。もう六月燈で踊ることはないだろうから浴衣で行かなくてもいいし、夜店が珍しくてあれもこれもと食べ過ぎることはないのだけれど、やっぱり六月燈には浴衣に袖を通したくなる。この時期は街なかでも、夕方、浴衣の女性をちらほらと見かけたりして、ああ、このたりでは今日が六月燈なんだなと思い当たる。

夕暮れ、涼しげに裾を揺らして歩く足取りは、どこかのんびりとしていて。そんな姿を見ながら、やっぱり六月燈の浴衣はいいなあ、と思うのだ。